ブリヤートの人々は「白鳥を祖先に持ち、白樺を馬繋ぎに使う」と自分たちのことを称し、次のような話を語り継いできました。
 どこかで聞いたことのある話だと思うことでしょう。じつは類似の話はアジアの広い地域に伝わっているんです。興味を持った方は調べてみてください。


白鳥の羽衣

 昔、バイカル湖のほとりに一人の狩人が暮らしていた。ある日、狩人が狩りに出かけると、湖で水浴びをしている7人の美しい娘を見かけた。狩人はそっと様子をうかがい、娘たちが脱ぎ捨てた衣の一つを、こっそり岩の下に隠してしまった。

 さて、水浴びを終えた7人の娘は、それぞれ衣を身につけると、とたんに白鳥に姿をかえ、次々に天高く飛び去っていった。6人の娘が白鳥になって飛んでいったが、一人だけ衣が見つからず、湖のほとりに取り残されてしまった。

 そうして途方に暮れてしまった娘に、岩陰に隠れていた狩人が近付いて、やさしく声をかけた。

「どうしたんだい? どこから来たんだい?」

 すると娘は

「私は天女なのです。天に帰らなければならないのですが、羽衣をなくしてしまい、白鳥の姿になれず、帰れないのです」

 と答えた。そこで狩人は、天女をなぐさめて自分のゲル(モンゴルの移動式住居)に連れて行き、世話をしてやった。そしてそのうち天女は狩人の妻となり、二人の間には11人ものこどもが生まれ、長い間幸せな暮らしが続いていた。

 そうしたある日、一人の旅人が狩人のゲルにやって来た。狩人は旅人をもてなしながら、

「俺が昔バイカル湖のほとりで狩りをしていた時に…」

 と、天女を妻にしたこと、自分が隠した羽衣をまとうと白鳥の姿になることなど、調子に乗って話してしまった。

 それを聞いていたこどもたちは、天女のもとに行って

「お母さん、羽衣を着てちょうだい。白鳥になってみせてちょうだい」

 とせがんだ。天女は

「でもね、お父さんが羽衣をどこかに隠してしまったから、お母さんは白鳥になることができないのよ」

 と答えた。するとこどもたちは狩人のもとへ行き、

「お母さんの羽衣を出してちょうだい」

 と頼んだ。

 狩人はとうとうあきらめて、岩の下から羽衣を出してきて、天女に羽衣を渡したのだった。天女は、

「私は長い間あなたと共に暮らして、たくさんのこどもにも恵まれました。今さらこれを着ることはできません」

 と最初は断ったが、狩人は天女に羽衣を着るように頼んだのだった。天女はようやく納得し、身を浄めて羽衣を着る準備を始めた。

 準備を終えた天女は、羽衣を身につけた。そのとたん、白鳥の姿となってゲルの天窓から上に飛び立ち、ゲルの上空を3まわり、

「カルゾート、ホワサイ、フグドゥート、シャライト、ゴシャト、ハラガナ、ホダイ、ボドンゴート、サガーンゴート、ハリバン、バトナイの11人のこどもたち、あなたたちがそれぞれ、ブリヤートの氏族の祖先となり、幸せに暮らせますように」

 と唱えたのち、天へと向かった。その時、狩人は道中の無事を祈り、乳の入った鍋を持ってきて、天女である白鳥に捧げようとした。しかし、白鳥には届かず、白鳥は爪で鍋を引っ掻いただけで天へ行ってしまった。この時から、白鳥の爪が黒くなったということだ。

 この後、天女のことばどおりに11人のこどもたちはブリヤートのそれぞれの祖先となり、ブリヤートの人々は白鳥を見ると乳やヨーグルトを天に向かってふりまく習慣が生まれたのだという。

(フルンボイル市在住のジャムス氏(1920年代生)、セデンダンバ氏(1940年代生)、ドルマー氏(1940年代生)、シネヘン・ソム在住のドガルマー氏(1930年代生)より2000年、2001年に採録、再構成)

日本語訳は 山越康裕 (2003)「新天地をめざした白鳥の子孫:シネヘン・ブリヤート」『北のことばフィールド・ノート:18の言語と文化』津曲敏郎編. 49-62. 北海道大学図書刊行会 所収。この話をもとに再構成した日本語・モンゴル語による絵本が刊行されました(山越康裕・さねすえ (2020)『白鳥と狩人:ブリヤートの民話』東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)。PDF版をこちらからダウンロードできます。

原文との逐語訳付き全訳は 山越康裕 (2018)「シネヘン・ブリヤート語」李林静・山越康裕・児倉徳和編 (2018)『中国北方危機言語のドキュメンテーション』三元社, pp.205-249. に収録されています。


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